8月27日に林舞輝さん執筆の、「記者会見、2人の知将との対話。感謝と違和感、そして“ある想い”」という記事が「フットボリスタ」のウェブ版に掲載されました。5回連載の5回目です。


これまで4回の連載も読んできましたが、とりわけこの記事に私は強い衝撃を受けました。あまり良くない意味での衝撃です。また、クラブオフィシャル(レノファ山口FC)が写真を提供しているという点にも引っかかるものを感じました。


 
当然ながら、最もショックだったのは『「儀式化する記者会見」への違和感』という小見出しが打たれた部分です。質問が二つで終わりそうになったという点もそうですが、「もしかすると、試合後の会見というのはいつもと同じようにやって早く終わって早く帰れればいいという、ある種の予定調和なのかもしれない」というくだりには、とてもやりきれない感情を抱いています。取材者が、片手間で仕事をしているように受け取られるのではないかという危惧があります。

 
twitterでは、この章に書かれたものを肯定するような受け止めがあるようです。これらの記述に関して、レノファ山口FC(以下、レノファと略します)を担当している記者からは、私の受けた衝撃と同じ憤りや困惑の声が届きました。

 
彼ら、彼女らは組織の中での記者のため、なかなか自分の声を発信することはできません。否定したくても声を上げることはできません。私は特定の組織の中にいるわけではありませんから、ここでは私の考えを中心にしながらも、彼ら、彼女らの行き場のない感情も代弁できればと思います。

 

このブログはとても長いです。冗長な上に、性質上、一部だけを切り取っても話はつながらないと思いますので、読み進める場合は、最後まで読んでいただければ幸いです。

 

 
さて、レノファにはとてもたくさんの人が取材に来ています。新聞、テレビ、ラジオ、それにフリーの記者や専門誌・紙の記者など、さまざまです。若い人が多いというのも特徴で、とりわけ一般紙は若い記者がペンを執っています。当該記事を書かれた林さんとそれほど年齢が変わらない記者も目立ちます。

彼ら、彼女らは非常に熱心で、記事にならなくても時間を作って練習場に足を運び、監督だけでなく、いろんな選手に話を聞き、試合後も限られた時間を最大限に使って取材しています。

 
私たち取材者の間ではLINEなどSNSのグループがいくつか立っていて、取材に行けないアウェー戦のときは、このシステムはどうか、交代のタイミングがいつがいいかなどと議論は尽きません。気づいたら未読件数が数十件になっていて全部レノファの話だった、というのは日常茶飯事です。

アウェー戦は詳報する必要がありませんから、極論を言ってしまえば、試合は見なくてもいいですし、議論もしなくてもいいのです。それでも盛り上がるのは、みんながレノファを愛しているからです。勉強会というほどではなくても、サッカーの話を深め、もっとレノファを良く伝えるために、メディア同士が集まって意見をぶつけ合うときもあります。

 
それだけ熱いのがレノファを取り巻く取材者であり、突き詰めて言うならば、熱くなければ取材者たちの熱気に負けてしまうくらいです。

 

私は2009年にレノファに出会いました。まだ中国リーグの頃で、当時は取材者ではありませんでした。ただ、その時期からテレビ山口をはじめ、いくつかのメディアがレノファに注目して取材を行い、これを礎石に取材する媒体は増えていきました。
チームが、その時代の選手があって今があるように、取材メディアもまたその時代に取材していた人がいて、おそらくは「伝えるべきものはほかにあるだろ」と上司に怒鳴られながらも信念を貫き通した人たちがいて、今があるのです。

そうした風土にあるからかもしれませんが、記者たちは紙幅がなくても、デスクに怒られても、レノファの現場に足を運んでいます。一体何本の記事を書くのかというほどの熱心さで、記者たちが集います。

 
できあがった記事が読者の求めるものとは違うかもしれません。時に齟齬があることもあるでしょう。しかし、私たちはレノファをとても大切にしていて、負けた試合でも何か収穫はないかと探し、勝った試合でももっと良い伝え方はないかと悩みもします。試合後に「早く帰れればいい」と思うことはありません。締め切りが迫っている関係で「早く記事にしたい」というのはありますが、勝っても負けても本当はいつまでも熱戦の余韻に浸っていたいのです。

 
読者のみなさんにはあまり伝わらないかもしれませんが、悔しい結果になった試合の記者室は本当に静まりかえり、良い内容で勝った試合はとても明るい空気に包まれます。

もし「早く帰れればいい」という記者だけならば、「行数(新聞の記事サイズ)が少なくて悔しい」という悲鳴を聞くことはないでしょうし、結果を恨む呪詛のような声を聞くこともないでしょう。仕事だけれど、仕事の枠を超えてサッカーチームに向き合う姿勢がレノファを囲むメディアにはあります。

 

地方のクラブは大なり小なりそういう傾向はあると思います。私はレノファとギラヴァンツ北九州を中心に取材していますが、ギラヴァンツでも熱心な記者が足繁く練習場に向かい、チームの今を理解しようと頑張っています。

ただ、その絶対数、割合ともにレノファが圧倒的ですし、レノファの場合、担当記者が代わっても熱が受け継がれている点は特徴的です。(ギラヴァンツは熱が人に付いたままで、担当記者が転勤すると熱が落ちてしまっています。サッカー好きな記者がまたやってくれば盛り上がるのですが、こうした波はギラヴァンツの課題だと言えるでしょう)

 
意欲ある記者にあふれているレノファは、みなが片手間で早く帰るために仕事をこなしているわけではありません。

 

もちろんサッカー経験者が全てではないですし、林さんのような貴重な経験をしている人はいません。一日の全てをサッカーに使えるわけではなく、こうしたことから引き出せる話にも、引用できるプレーにも限度はあるでしょう。不勉強に対する批判は甘んじて受けます。こちら側の事情を全て理解してほしいと請うつもりもありません。私たちも日々生まれ変わりながら、日々に更新されるサッカー、新しく生まれ来る視点にチャレンジしなければなりません。

 

 

林さんが取材された8月12日の試合当日についても触れなければならないでしょう。

この日は状況としてはやや特異な日でした。ひとつは「新聞休刊日の前日」だったということです。また、地方の記者も赴くケースが多い「甲子園(高校野球)」の開催期間中で、山口県代表の下関国際高校は1回戦(8月9日)で初勝利しトーナメント表にまだ名前を残していました。それに、ちょうどこの日、県南東部の周防大島町では2歳の男の子が行方不明になり、この日から大規模な捜索が行われています。

こうした状況にも関わらず、つまり翌朝は新聞が販売されないですし、夕刊や翌々日の朝刊に記事スペースが確保される確実性がないにも関わらず、新聞各紙が記者を送り出していました。新聞と同様に、テレビ各局もいつも通り取材に来ていました。

 
記事になるか分からないが、記者を送っておく。あるいは休みだけれど取材に行く--。町田や甲府を担当し、バスケでも記事を発信しておられる大島和人さんが、「原体験」として驚いたという「熱気」はこうした点からもうかがい知れると思います。




 
試合後のレノファの記者会見を振り返ると、冒頭で霜田正浩監督が試合総括のコメントをしたあと、最初に山口新聞の記者が質問しました。フォーメーションに関する話です。

この日、霜田監督が初めて試合序盤から「4-2-3-1」のシステムを採用したように見えたため、それは当然の質問でした。これに対し霜田監督は中央の形だけを変更した「4-3-3」だと答えています。続いて丸岡選手の起用ポジションに関する質問が出て、それに霜田監督は「非常に良かった」としてやや詳しく回答しています。

 

林さんの質問が始まるのはこのあとからです。林さんと霜田監督との質疑応答が7分ほど続きます。

実は記者会見の開始が通常よりも5分ほど遅く、林さんの質問が終わった段階で時刻はすでに21時半を過ぎていました。チームバスの出発時間までに私たちは選手への取材もしなければなりません。しかし、各媒体ともに監督にも確認しなければいけないことがあります。従って、このあとは読売新聞、中国新聞、山口朝日放送など各社の記者が、単発で淡泊な質問を投げざるを得ない状況となりました。

 
ごく普通の日ならば山口放送、エフエム山口なども質問に加わり、かなり戦術的な部分にも質問が及びます(残念ながら短期的な戦術や選手のコンディションに関わるものは次の試合に響く可能性があり、公式サイトには載らないものもあります。これは留意してほしい点です)。この日は戦術までは入らず確認したい点まででタイムアップ。レノファの公式サイトにある通り、前貴之選手の起用法(読売新聞)、失点時間に対する認識(中国新聞)などで話が終わっています。

 
いずれにしても各社ともに聞きたい話があるため、記事で指摘されたような「たった2つの質問で終わりそう」だったということはありません。

 
なぜ林さんがそう思われたのか。これは思い当たる節はあります。レノファの会見ではちょっとした間(ま)が生じることがあり、それを勘違いされたのだろうと思います。

 
レノファの会見では、媒体数の多さからだいたいの大きな流れがあります。新聞のうち地元紙と言える山口新聞と中国新聞のどちらかが最初に質問する場合が多く、そのあとは全国紙や専門誌・紙などが続き、後半は放送系の媒体で収束します。

 
あの日の状況を思い返せば、地元紙の質問が続くかどうかを見極めるような間があったと思います。「山口新聞さんはもう一つ聞くのかな? 中国新聞さんはどうするのかな?」というような間です。これはもちろん質問全体の終わりを意味するようなものではありません。現に、林さんの質問のあと、確認程度とはいえ質問が続いている点からも、二つで質問を終えるつもりがないことは明らかです。

 
こうやって書いてしまうと、様子を見極めずにどんどん聞けばいいじゃないか、と思われるでしょう。しかし年間にリーグ戦のホーム戦だけでも21試合も取材していると、なんとなく順番は決まってくるものです。それに媒体によって質問の傾向もありますから、やはり、なんとなく収まりのいい順番が決まってしまうものなのです。それは「予定調和」に見えるかもしれませんが、決して議論を避けるための方策ではありません。

むしろフォーメーションなどベーシックな部分の確認をしたい媒体が最初に質問し、徐々に戦術に入り、最終的に次の試合に向けた話に移ろうのは、流れとしては自然です。確かに地方のクラブの中には、単発の質問が一つか二つ出るだけで終わるというところもあるでしょう。しかし一連の流れが媒体の枠を超えてできるくらいに、レノファは質問者に恵まれていると言えます。

 
そのため、よもや「片手で数えられる質問で終わるということに、正直かなり驚いた。なんともったいない話だろうか」という印象でまとめられるとは、在山メディアの誰もが思わなかったでしょう。驚いたのは私たちのほうなのです。

 
 

記者会見のあと、選手の囲み取材があります。得点を決めた選手や活躍の目立った選手などはテレビカメラの前に立ち、取材に応じます。後ろにスポンサーの名前が並んだボードがあり、その前に選手が立って受け答えしている映像はよく目にすると思います。

このときは「不文律」があります。選手負担の軽減と同じ質問が続くのを避けるため、あらかじめ質問する社局を決め、各社が聞きたいであろう質問を代表して投げかけます。その他の質問を受け付けるのは、代表質問が終わってからです。レノファではNHK山口放送局を含めたテレビ4社局のローテーションで行うように決まっています。ちなみに、ギラヴァンツ北九州では通常はNHK北九州放送局とJ:COM北九州が担い、大きな会見では記者クラブ幹事社かNHK北九州が担当します。

 

この日はレノファの試合に初めて出場したワシントン選手と得点を決めた丸岡満選手が代表質問の前に立つことになり、私など各社は得点シーン等に関してはそこから記事に使う言葉を拾いました。ただ、私はもう一人、絶対に話を聞きたい選手がいました。レノファでは初めてボランチで先発した前貴之選手です。記事にもしたように、前選手がどこでプレーしたかはポイントになると判断したからです。

 
記者会見が長引いたために、21時41分にワシントン選手への代表質問が始まったときには、かなりの選手がチームバスに戻り始めていました。私は代表質問エリアにICレコーダーだけを残して前選手を追いかけ、会見でも前選手について質問していた読売新聞の記者とともに、詳しい話を聞きました。

 

チームバスが出発する時間は、以前は21時50分でとてもタイトでした(19時キックオフの場合)。現在はそれよりも5~10分ほど遅いですが、ロッカールームを早く出てバスでゆっくりしたいという選手もいますので、選手が出てくる時間はそんなに変わりません。試合後は本当に慌ただしく時間が過ぎて行くのです。

逆にアウェー戦では、急いで出発しても新幹線や飛行機の時間に対して早く着きすぎるという場合があるため、ゆっくり取材できることもあります。大島さんが書かれていたように、30分も掛かるような会見は得てしてアウェーで起きやすいのです。

 

林さんの言う「監督会見が長引くと選手への囲み取材ができなくなるという現場の事情」は確かに的を射ています。ですが、そうだからといって記者会見に重きを置いていないというわけではありません。試合後の1時間という限られた時間の中で、どちらもやらないといけないというのをご理解いただきたいと思います。

 
この日であれば、なぜ霜田監督が前選手をボランチで使ったのかは記者会見で聞かなければなりませんし、それに対して前選手がどう受け止めてプレーしたかは前選手本人から聞かなければなりません。もっとも、前選手について触れようとしたのが読売新聞と私だけだったように、各社の切り口はさまざまで、テレビ局は監督には違う質問をし、選手に関しても前選手とは違う選手に話を求めました。新聞だけをみても、山口新聞は丸岡選手をポイントに挙げ、中国新聞は失点の部分に着目し、それぞれが監督にも、選手にも、異なった問いをぶつけています。

皆が皆、監督にも聞かなければいけないし、選手にも聞かなければいけない事情があるのです。

 

監督や選手の胸中を、憶測で語るのは誰にでもできます。しかし、私たちは試合直後に監督や選手に直で話を聞くことができます。この機会を生かして記事を届けるのはメディアの責務です。私たちの目前で起きた出来事を記者会見や囲み取材で本人の口から語ってもらい、単なる結果の羅列にとどまらない記事を送り出せるよう、時間の限り奮闘しています。

 

時間の制約はあることを意味します。それは記者会見にしても、選手の囲み取材にしても、単刀直入に「試合内容」「短期的な戦術」にフォーカスせざるを得ないという点です。林さんはオナイウ阿道選手への指導やセンターバックの過度なチャレンジなどについて触れています。これは質問自体に重要な示唆を含んでいて、林さんの経験が生きている素晴らしい質問であったと思います。

しかしながら、質問に立ちたい人が多いレノファであれば、一通りの質疑応答(ベーシックな確認→戦術や起用法→次戦の話)だけでもかなりの時間を消費してしまいます。質問が長引いてしまうのであれば練習など別の場で聞き、それを林さんの署名で原稿を発表したほうが良かったでしょう。

(日本では記者会見がシステマティックになりやすく、前日会見ももちろん行われていません。やむを得ない側面はあります。その一方で練習は公開されている場合が多く、練習を見たり、練習後に時間を使って話を聞いたりといった取材が可能です。あらかじめ連絡や申請をしておいたほうがいい場合が過半ですが、手順を踏んだ取材であればそれを咎められることはありません)

 

述べてきたように、レノファの現場は少し特殊です。初めての人から見れば違和感もあるでしょうし、勘違いも生むでしょう。それでも熱意がないような受け止めになる現場ではありません。このたびのコラムには取材者が心得るべき大事な指摘がある一方で、レノファを日頃から取材している私から見れば、看過できない部分が含まれているのです。

 

林さんは記者会見を含めた取材という意味では、8月12日が初めての現場だったと思います。林さんが今回、レノファを選んで取材した背景には、川端暁彦さんが関係しているようで、twitterでもそういう記述がありました。


 
川端さんは在山メディアの方だけでなく、山口の多くの関係者と親交があるはずで、なおかつ今年は山口の練習場にもいらっしゃっていました。メディアの多さや熱量に対する理解はあるでしょう。その川端さんが関係していながら、林さんのこのようなコラムが載っていることにもまた驚きます。

また、林さんは、吉野家が山口市になかったことや、駅からの距離が遠くてタクシーを使ったことなども記事に記していましたが、川端さんほどの人物であれば山口のメディアなりサポーターなりを紹介することもできたでしょう。(場合によっては防府市や宇部市にある吉野家に連れて行き、確かに公共交通機関では行きにくい練習場にも運んでいってくれる人は出てきたかもしれません)

 

全体を把握しているとは言いがたい状況判断と勘違いからこのようなコラムに発展し、「不当に」とまでは言いませんが、山口の地、山口のメディアが貶められたように感じます。

記事中に、『この五部作にちょくちょく登場する某サッカージャーナリストに「初めての取材&記者会見でわからないことだらけなので、いろいろとお訊きしてもよろしいでしょうか?」と連絡したところ、まさかの既読無視である』というくだりがあります。ここからは林さんの困惑が想像されます。述べてきたようにレノファは地方としては取材媒体が多く、不文律めいたものがあり、困惑は余計に大きかったと思います。勘違いも起きやすかったでしょう。

初取材者に誰かを付けるというのは当然で、編集部から人を出すか、最低でも現地メディアの関係者に注意を払ってもらうよう促すべきです。ごく一般の仕事に照らし合わせても、研修や先輩の指導抜きに、新規採用者をいきなり営業に出向かせたり、店頭に立たせたりはしないでしょう。メディアの側として、川端さん、ないしはフットボリスタ編集部の不作為には言及をしておきます。

 

 
(このブログの話はまだ続きます。少し話が変わりますので、一息つくとしたらここで)

 

山口という地がネガティブに書かれてしまうことや、山口のメディアが片手間で熱がないように書かれてしまうことは、私にとっては、身体の一部を刃で刺されるような痛みを感じるものであり、とてもとても悲しいことです。

 
はじめにも触れた通り、レノファを囲むメディアはとても熱心です。その一方で、一般紙の記者は一人で全てをこなしているというのも分かってほしいと思います。

一人というのはそれだけでもハンディキャップですが、読売新聞や朝日新聞を筆頭に若い記者が担当することが圧倒的で、いろいろな壁に当たっていると思います。それでも頭が下がるほど熱心に取材しています。不当な言葉の暴力で、彼ら、彼女らの心がへし折られることがないよう、経験ある取材者は手を差し伸べなければなりません。

 

スポーツ取材が「一人」というのはとても大変です。カメラマンがいませんし、分担して話を拾ってくれる人も「身内」にはいません。試合中はピッチサイドで写真を撮り、試合後は記者会見に出て監督に話を聞き、囲み取材で選手に話を聞き、写真を整理して送り、公式記録と照らし合わせながら記事を書き、その内容をめぐってデスクと論戦していることもあります。私もそうですが、試合を映像で振り返る時間はありません。ピッチサイドで写真を撮りつつ、ノートに経過を記録。上から見られない分、選手の立ち位置からフォーメーションの変化を感じ取ったり、近くで撮っている別の記者と話をしたりして、俯瞰できないピッチをなんとか俯瞰しています。

 
さらには別の記事に並行して当たっている場合もあり、ハーフタイム中はパソコンの画面には前半に撮った写真が出ているけれど、電話では昼間に起きた交通事故の確認をしているという記者もいます。それは決して珍しいことではありません。

 
カメラマンと記者を別立てできればいいのですが、支局があるだけの一般紙にそれを行うのは難しいのです。でも、それらの記者が愛情を持って記事にしているのです。練習場に疲れた顔なのに「今日は休みですけど来ました」というのは良くあることで、試合や練習場を離れてもレノファの話が尽きることはありません。

 
熱意は新聞以外も同じです。専門紙「エル・ゴラッソ」のレノファ関連の記事は、現在は宇部市に拠点を置く編集プロダクションの記者が担当しています。このうち一人はサッカー経験者で記者会見でも鋭い質問を投げかけます。また別の一人は若い女性記者で、やはり一般紙同様に街の取材をこなしながらサッカー取材に当たっています。しかし片手間というわけではなく、相手チームの試合映像をつぶさに確認し、誰がマッチアップするかをチェックし、丁寧な下調べをしてから練習取材、試合取材に臨まれています。そこまで調べるのかと驚くほどです。

 
もちろん、アウェーを含む全試合に行っている吉永達哉さんや、映像が使えない「ラジオ」という媒体でありながらレノファの楽しさを伝える金光一昭さんといった「重鎮」をはじめ、細かなデータシートを作って分析し、尺がなくても取材に駆けつける山口放送のみなさん、独自の視点で試合観戦の醍醐味を伝えライト層の取り込みにも一役買っている山口朝日放送のみなさんなどなど、地元紙から一般紙、専門誌・紙、民放からNHKまでレノファは本当に多くのメディアに支えられています。

 
彼ら、彼女らが、「早く帰れればいい」と思っていると一蹴されるのは、私は泣きたいほど悲しく、悔しく、つらい。むろん舞台裏の話を読者や視聴者のみなさまが理解する必要はまったくありませんし、できあがった記事や番組を見て、良い/悪い、浅い/深いと評価するのも自由にやっていただきたいと思います。

 
ただ、メディア側の中から、現場の努力を踏みにじられる原稿が上がったのには強い憤りを覚えます。あの原稿に触れて、どれだけ現場の人たちの心が傷つけられたか、林さん、川端さんは知ってほしい。繰り返しになりますが、林さんの質問は素晴らしいものです。サッカーファンには「これを待っていた」というものでもあったと思います。私がいち読者であったなら、拍手を送ったでしょう。

質問内容を引き合いに出して「メディアはもっと成熟するべき」という論法なら、このように私が書くこともありません。その通りだからです。しかし、記事中途に山口に活発な記者会見がないように書かれ、予定調和や儀式などと書かれてしまったのは看過できません。


 

加えて触れなければならないことがあります。林さんの記事には、レノファ山口FCのクレジットが入った写真が使われています。

報道目的で入ったメディアは、自ら写真を撮影するか(報道一次利用)、そうでない場合はJリーグのプロパティー利用規程に則り「Jリーグメディアプロモーション」から購入するか(a)、報道で入った他社から提供を受けなければなりません(b。報道二次利用と言います)。aの場合は写真のクレジットに「Jリーグ」が入り、bの場合には主に地方新聞社間での融通や通信社からの提供などが含まれ、ノンクレジットか権利保有社の社名が記されます。


掲載されている写真はこれらには該当しません。ただ、レノファ公式サイトには載っている写真です。報道目的で入っている「フットボリスタ」が公式サイトの写真をそのまま持ってくるというのは著作権に照らして考えにくく、レノファがクラブとしてこの原稿に写真を提供したと考えられます。どういう記事になるのかはレノファ側は知らなかったと思いますが、結果的には地元メディアの批判が含まれる記事に写真を提供したことになってしまいます。

 
上述したように、過半の媒体は、スタンドの中にある記者席から試合を俯瞰するのを諦めて、ピッチサイドで写真を撮っています。オフィシャルカメラマンとは撮影できるエリアにも違いがあり、メディアがどんなに努力をしても、オフィシャルカメラマン撮影の写真とは差が出てきます。単なる写真とはいえ一部のメディアへの優遇は、公正な競争を妨害するものです。地元メディア批判になる記事に掲載されたことも含め、既存メディアとの間に軋轢を生みかねず、クラブとしてこの点は大いに反省すべきだと思います。


記事中で触れられていた非公開練習の取材に関しても、汲むべき事情が大いにあるとはいえ、多少の疑問符が付きます。これらについて、私は「うらやましい」と思っているのではありませんが、クラブが良かれと思ってやったことが、逆にメディアを遠ざける危険もあります。

 
私たち取材者は現場ではチームプレーで問題を解決することがあります。例えば聞きたい選手が同時にミックスゾーンに現れたときに、分担して聞くということがあります。しかし、記事や写真、映像は、やはり各社で作り方が違い、競争が存在します。このような優遇が今後も起きるのであれば、正当な競争は阻害されるでしょうし、何より「どこかを優遇しているのではないか」という不信が生まれるのは、取材者を遠ざける一番の理由となります。クラブはこの点に関してもきちんと省みなければなりません。

 
(なお、クラブに関して述べた部分についてはアップデートすべき点があれば更新します)


 
レノファ山口FCというクラブが長く愛されるために、私たちは可能な限り己の中のリソースを割き、一生懸命に仕事に当たっています。時に試合に関して間違った書き方をしていたり、無理解があるかもしれません。それでもレノファのために尽くそうという努力は踏みにじられるものではありません。地方に、地方のメディアに、サッカーへの一途な熱があるのだと書き記して、今日のところはここで筆をおくこととします。