この西村雄一主審のインタビューは興味深いですね。ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の話の関連で、放送環境の変化で「すぐにリプレイ映像で真実を確認できないのは、スタジアムの中でレフェリーチームだけ」というのを「難しかったこと」と話されているのは、西村さんであってもそうなのか、と思わされます。
さて、私は一部の雑誌では主審の採点もしなければならないので、選手の動きだけでなく、審判団のジャッジにも気を配っています。もしかしたら、スタンドから見ている方が感じる印象と、私が付けるスコアでは、少し違っている場合もあるかもしれません。


例えばですが、ペナルティエリア内で決定的なファールが見逃されるような事態が起きたとします。そのときに、ミスジャッジとしてマイナス評価を下すのは容易いことですが、主審と副審にとって本当にどうしようもないものだったかと考えます。

西村主審が言っているように、副審は立ち位置が固定されています。主審は最もコンタクトプレーが起きる場所を視線の中心に置いているでしょう。その状況で発生したファールについて、主審が適切なポジションを取っていたにも関わらず、ボールや人の動きがイレギュラーで視認が難しかったとしたら、100%のミスとは言いがたいのです。確かに上から見ていたり、主審が選手の真横にいたりしたら分かるかもしれませんが、視認できなかったものを事後の状況だけを頼りにジャッジするほうが問題です。

一方で、主審の立ち位置がそもそも正しくなかった場合や、激しいコンタクトプレーが起きそうな雰囲気がありながらリスタートを急いだ場合、あるいは副審の位置からも視認できたのに審判団内のコミュニケーションが不全でファールを見逃した場合などは、採点をマイナス方向に向けるミスジャッジと考えます。

 
これは一例に過ぎませんが、選手とどのようなコミュニケーションを取っているかや、ゲームが荒れないような配慮ができているかなどを総合的に判断し、おおむね「4.5」から「6」の間でスコアを付けています。笛(ファール)やカードの判断基準については、過剰かどうかというよりは、試合中に基準が大きく上下していないかのほうが気になります。
残念ながら審判がゲームを壊したという試合もあります。他方、審判の適切なコミットによって締まった良いゲームができることもあります。なるべくなら後者のような試合が続くよう、願っています。

 
 
少し触れておきたい私なりのお話があります。

 
試合が始まる5、6分ほど前。つまりは選手の入場直前ですが、私はいつも審判団を見ています。ありがたいことに私などメディアの人間は、審判団や選手たちを眺められる位置で入場を待てるのです。

たいていの方は選手を見ているかもしれません。でも私が審判団を注目するのは、時折、少し違う空気をまとったセットに出会えるからです。私が入場を見るのはJリーグで年間に40試合ほど。その他のカテゴリーを合わせると、入場シーンを眺めるという経験は年間に50試合は超えます。でも、「少し違う空気」に出会うのは、そのうちの1回か2回です。

 
少し違う空気。説明は難しいですが、言うなれば、何も伝わってこない審判団のことです。それはすごく不思議な感覚です。透明と言っていいでしょう。堂々たる透明な審判団が、入場の時を待っているのです。

石ころになっているという意味ではありません。いざゲームに入れば、選手は十分に審判団をリスペクトしていて、主審の笛もはっきりと聞こえてくる。審判団の存在が確かに感じられます。ミスジャッジはあるかもしれません。でも、リスペクトの中で、ほどよい距離感で試合が進んでいきます。不思議な審判セットのとき、選手の表情も心なしかいつもよりも生き生きしています。

 
名前を出すのは憚られますが、やはり経験のあるレフェリーにそういう「透明さ」を帯びている方は多いと思います。当然、経験があるから自信もあるでしょうし、選手のリスペクトも得やすいはずで、まるで瞑想している僧や路傍の虚無僧のような感じです。
でも、むしろ経験やリスペクトがあるからこそ、謙虚に向き合っているのだとも思います。目を瞑って深呼吸し、すっと前を向いて出て行くレフェリーもいます。メッセージは伝わってきません。堂々とした透明でゲームに入っていきます。

また経験の浅い審判でのセットであっても、この不思議な感覚が感じられ、試合では適切なジャッジを続ける場合もあります。Jリーグではないカテゴリーでも、そういうことがあります。審判団の放つ無を感じられた入場シーンに出会えると、私は少しわくわくするのです。今日のゲームの成果は、全くもって選手次第だと。


 
話がとても遠くに行ってしまいました。どう戻していいやらですが、審判というのは本当に特殊な仕事だなと思います。むろん人間である以上、ミスがあったり、流し流されたりするもの。ただ彼らなくしてはゲームは成立しません。雑誌原稿の「審判採点」の欄に数字をタイプするのはとてもつらいですが、敬意を払うと同時に、日本のサッカーを発展させるのにその笛は正しいか? という長期的な視点もどこかに持って、おこがましくも数字を選んでいるのです。

 
みなさんもぜひ、審判団の動きも興味を持って眺めてみてくださいね。もしフェアプレーフラッグを持ったり、エスコートキッズのエスコート(?)をしたりしてピッチの近くに行くことがあれば、私の言う「透明さ」を感じ取れるかどうかも、体験してみてください。