2017年12月21日

喫茶店とカフェと。

シアトル系コーヒーチェーンのある種の「日本化」で、シアトル系コーヒーチェーンとカフェとの境目がなくなってきているんのではないかなと思う。


バリエーション豊かなコーヒーと季節メニュー、おまけ以上の存在になってきた軽食。シアトル系コーヒーチェーンは様々な施策で若い世代を取り込み、日本全土にすっかりと定着した。一方で街のカフェはそれほど中身が変わっているわけではない。粋な店主がいて、調度やカトラリー、音楽、そこでのイベント、軽やかな会話、筋の通ったメニューに、カフェの香りが漂う。

ただお客さんの変化は急速だ。「シアトル系コーヒーチェーンネイティブ」とでも言うべき世代がプチ外食の主役になってきつつあり、カフェに対しても同一のものを求めるようになってきた(ように感じる)。

同一のもの。即ち安定した価格帯の均質なサービス、無干渉の店員、クロスオーバーしない客たち…。「仕事、最近どうなのー?」と気さくに問うてくるような店主や、隣り合った客同士の会話は、シアトル系コーヒーチェーンにどっぷり浸かってしまうと雑音でしかなくなってしまう。カフェが提供してきた「場」の深い色合いは、退色してしまった。

 
一方で、喫茶店という業態がまた興隆してきているようだ。9月にブルータスが「喫茶店好き。」を増ページ再発行していたのも興味深い。

「シアトル系コーヒーチェーンとカフェ」は似ている部分があり、また一方で「カフェと喫茶店」も似ている部分がある。が、「シアトル系コーヒーチェーンと喫茶店」は距離感がある。

喫茶店といえば、カウンターや4人掛けのテーブルが並び、出されるのはナポリタンやハヤシライス、サンドイッチなど。コーヒーは味勝負というよりは、食事や会話のお供。喫茶店に、シアトル系コーヒーチェーンの個人主義的なものを期待して行く人はあまりいないと考えられ、二つの業態は未だに差別化されている。喫茶店がシアトル系コーヒーチェーンの対岸にあり続ける限り、二つはそれぞれ別物として存在し続けていくだろう。

カフェが時代に飲み込まれそうになる中で、逆に喫茶店が注目を浴びているというのは不思議な感じもするが、遠因にシアトル系コーヒーチェーンの存在があるからだと思うのだ。

 

この12月でいくつかのカフェが店を閉める。「カフェネイティブ」とも、「シアトル系コーヒーチェーンネイティブ」とも言えない今の30代はこの先、どのような店を求め歩いて行くのだろうか。やはり「場」は欲しい。二つくらい上の世代の「喫茶店ネイティブ」の背中を追いかけるのも、良い選択なのかもしれない。


shinchoen at 02:37│いばしょ | おもうこと