20160729_1


(読み切ってしまった)

 
 宮本 輝
  「 錦 繍 」
  
00年代の早い時期に買ったまま積まれていた一冊。当時で「第五十三刷」ということなので、本当に多くの人が本作を手に取ったことだろう。

 
購入当時、文庫に巻かれていた帯に おすぎ氏 が映画評論家の肩書きでこう書いている。

 「“愛”とは何か、と考えている人は絶対に読むべし。宮本輝の最高峰!! おすぎ」

念のため付言すれば、おすぎ氏のようなバックグラウンドを持つ人が登場するわけではない。本作の構成は極めて独特だが、「愛」を語るのは常に一対の男女である。

 
さて、本作を読んだことがある人にとっても、それはずいぶんと遠い過去の海の中に沈んでいると思う。単行本が1982年なのだから仕方もあるまい。断片だけをつまんでおくと、小説は書簡の往復によって構成されているということが何よりの特長。そして黒井千次氏の解説にならって書き出しだけを記すと、読んだ人にはありありと小説の内容が、そうではない人には多少は読み進めたくなるような衝動が迫ってくることと思う。

 
書き出しはこうある。

 
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 前略
 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。私は驚きのあまり、ドッコ沼の降り口に辿り着くまでの二十分間、言葉を忘れてしまったような状態になったくらいでございます。

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女性がある男に充てて出した、不穏さを秘めた手紙の書き出し。ここから物語は後ろ向きに展開される。想像すらできない再会(つまり別れがあるわけだが)に至るまでの軌跡と奇蹟。時間は前に進んでいるのに、手紙は常に冷たい過去の時間を粘々と語っていく。

もちろんここに多くを書かなくていいだろう。住所は知っていても会える間柄にない男と女がいて、愛情と憎悪が行きつ戻りつし、それでいて何かの深い因縁で途切れそうな緋色の糸がまだ渡されている。糸はいつか切れるのか、ついに綱となるのか。本作の根幹にあるのはそういうストーリーであり、恋愛小説ではないが、「昼下がりの神戸」のような要素を多分に含んでいる。(舞台も神戸、大阪、京都だ)

両者を結ぶ因縁は登場人物の幼少期やさらに遠いところにまで及んでいる。突拍子もないが、『因縁によって芽吹いた愛や生や死に恐る恐る触れていく話』と断じてもよかろう。「愛とは何か」。その答えは確かに見つかるかもしれない。

 
枯れようとする木々の燃えるような一瞬を錦繍(きんしゅう)と呼ぶなら、それを書名とした作品のエンディングは――。幸せな未来はきっとないと分かっているこの不快感に、いつしか酔ってしまう。宮本輝らしい腹立たしいとでも言うべき筆圧。氏を代表する秀作であり、書簡体小説の傑作だ。

 
なお、装丁画を描いた有元利夫氏は文庫本が出た1985年の早春に亡くなっている。

 
 文庫:
   新潮文庫(本体400円=購入時)
   1985年5月20日発行
   装丁画:有元利夫
 単行本:1982年3月,新潮社