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電車移動が多いことを利用して、最近は再び本を読むようになった。このたび選んだのは、恩田陸さんの小説「夜の底は柔らかな幻」。けっこうな早さで読了した。

恩田世界の集大成

文庫本で上下巻あわせて800ページ弱。恩田さんの小説はストーリーが重なり合った作品も多いが、1本のまとまった作品でこれほどの量があるものは少なく、大森望氏の書評曰く、「オールスターキャストで上演される恩田エンターテインメントの集大成」。文字通り、恩田ワールドがページを繰るたびに深まっていく。


タイトルは「異邦人」(1979年)で知られるシンガーソングライター・久保田早紀さんの同名アルバムから取ったもので、ストーリーとの大きな関連性はないが歌へのオマージュは感じられる。とはいえ世界観は異なり、モスコミュールの泡などという優しさ含みの欠片はひとつもない。なんたって舞台は「闇月(やみづき)」の「途鎖国」。見事にも禍々しい文字だけで飾られた並行世界で展開されるのだから!


でも。途鎖、その読みは「とさ」だ。ひどい当て字をされているが、そう、それは土佐。つまり高知だ。読者は電車に乗って幽閉された南国(に似た世界)に乗り込み、気づけばめくるめく恩田ワールドの扉を開けてしまっている。もちろん立ち入ると抜け出すことはできない。そして、恩田陸さんはめいっぱいに広げた世界を、漏斗をつっと水が集まり落ちていくように一点に絞ってしまう。無表情に何もかもを巻き込んで。何もかも。全てを、漏斗の底に。


ヒロインは実邦(みくに)というアラサーの女。それにいくつかの男や女やその他の者たちが出てきては漏斗に巻き込まれ、ある場所に絞り出されようとしている。ぎゅっと締め付けられる身体、災禍に包まれた物語。残るのは苦みか、悦楽か、もしくは、ほんとうの空っぽか。本作、私は後味を保証しない。

 

 初 出:オール讀物 2006,9月~2009,12月号
 単行本:2013年1月(文藝春秋)
 文庫本:2015年11月/文春文庫(上下巻各本体620円)